「銀の鬼13」 166P ←公開中です。さあポチッとして、あなたも銀の鬼ランドへ!
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前項目コメント欄に、返信のご返信をお二人の方からいただきました。
応援のお言葉、本当にありがとう。
私は女性の心の中に潜む、幻想と恐怖と笑いのロマンチック世界を漫画にしておりますが、
それが現実の中で傷つき崩れ去りそうな、生きる厳しさというものからも目をそらさずに全体を受け止めています。
現実はロマンチックなものに対して意地悪です。
そんなものあるかと、いじめ、たたきつぶし、殺そうとさえします。
現実の力というのは強いから、土台を持たないロマンチックさではひとたまりもない。
だから土台を強くするんだ。
現実のいい面を身につけ、つまり建設的になるということだ。
そうして土台をしっかり築いたうえでのロマンチック作品というのは、本当に魅力的なんだ。
そんな風に創作活動をしていくんだと願っている私です。
でもここ何日か記事にしてきたように、
この私の願望というのは、ずっとずっと過去に発生した小さな”ゆらぎ”…
そう母の願った夢が、子である私に刷り込まれたもの、
遺伝子の恋というものではないだろうかと…思えてなりません。
私は”ロマンチックなもの”に恋をしている。母の代からずっと。
でもその恋はそれだけでは弱い。
土台に建設的な知恵とよい権力(財力も含め)、つまり愛の力が必要だ。
それはそういう自分に、愛ある自分になろうと努力し続けるしかない。←今ココ
と、前置きが長くなりました。
ここしばらく、ぶっ飛んだ母について書いてきましたが、そのパート2です。
(別にパート3があるというわけではないですが)
私の母は確かにぶっ飛んだところがありました。(たまにですけど)
しみじみとぶっ飛んでいました。
私が小学生時代、嫌なことがあったりすると、
隣の大きな駅前まで母を迎えに行っては、一緒に帰って来たものです。
そんなある日、電車というか、当時ディーゼルカーだったかな?
私たちが改札口を入った時、ディーゼルカーがもう発車してしまったんです。
それに乗り遅れると、あとは一時間くらい待たなきゃならなかったという厳しさが。
そのせいか母はすごいスピードで走るんですわ。私も手を取られてるから走るしか。
でもディーゼルも走る。
しかし母も走り続け、なんと天下無敵の掟破りの、そこまでやるかって~叫びまで!
「待ってーーーーー、待って、待ってーーーーー」
小学生の私、「無理ー、無理だってーーー、やめよ」
でも何となく走リ続ける親子。長いホームをどこまでも。
神様があまりに呆れ果てたのか、その時奇跡が。
ディーゼルカー、減速して行き、…やがて停止。
昔のイナカと言ってもね、そこはターミナル駅で結構大きかったんですよ。
そこで何両編成かのディーゼル止めちゃったんですよ。
それから中に乗り込むのはかなり恥ずかしかったですよ。
しかし子供心にすごいなー、本当にとまったよーバスならわかるけど、と感心もして。
ブログ3年前の記事「びゅんびゅん走り復活!」 で書いたように、
私も発車してしまったバスに何とかして乗るために、次の停留所まで走ったことはある。
でもバスを途中で止めたわけではない。そんなこと私出来ない。
それを母は、駅のホームでやった。バスではなく線路の上を走るあれを・・・。
いくらのどかだった四十何年か前だって、そういう事は日常まずなかったと言える。
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